しんどいエブリデイ

もうわけわからんよ

私もアイドルになりたかった


小さい頃の夢はアイドルになることだった。幼稚園の頃、ミニモニの全盛期で、私もキラキラしてステージの上で踊るんだとずっと思っていた。幼稚園の先生にそれを伝えたら笑われた。親には微笑ましくて笑ったんだよと言われたけれど、小さいながらにそれをとても悲しく感じて、私はもう人前でアイドルになりたいというのをやめた。その時の私はまだ5歳だった。

思えば小学生の時も、これといって夢はなかった。保健室の先生がいいんじゃない?と言われればなんとなくそんな気がして卒業文集にそう綴った。考えてみれば人生で一度もこれになりたいと強く願った職業がない。強いて言えばアイドルになりたかった。でもアイドルなんて努力だけで慣れるものじゃないのだ。

中学生になった。出る杭になって打たれないように、平穏な日々を過ごした。アイドルが大好きなどこにでもいる中学生だった。私は人並みに勉強ができたし、人並みに現実を見ていた。アイドルになりたいとはもう思わなかった。そこそこの高校に進学して、そこそこの大学に進学して、そこそこの企業に就職して、ふつうに結婚しようと思っていた。保健室の先生になりたいなんてのも、ただの一度も思わなかった。

高校生になった。私の通っていた自称進学校は、言わば意識高い系の集まりで、私は常に居心地が悪かった。勉強しないで何となくその高校に入ってしまった私は、プライドだけは一人前で、努力しなくても私は頭がいいと思い込んでいた。もちろんそんなことはなくて、成績はどん底だったけれど、それでも構わないと思っていた。そこそこの大学に進学して、そこそこの企業に就職できればいいのだ。みんなみたいに実家の病院を継ぐとか、自衛隊パイロットになるとか、そんな立派な夢はない。アイドルになりたいなんて夢を見る年じゃない。重たい現実を背負って、安定した将来を見据えて呼吸をするだけの毎日だった。頑張れない自分が不甲斐なくて泣いた。でも何を頑張ればいいのか分からなかった。自分が大嫌いになった。

大学生になった。受験勉強をしなかった私は浪人した。そこそこの大学に進学できた。意識の高い同級生から見れば落ちこぼれだろうけれど、自分ではそこそこ納得のいく進路だったので自分のことも少し好きになれた。周りには弁護士や公認会計士やアナウンサーを目指す友達もいるけれど少しもそんな職業に就きたいなんて思わなかった。

アイドルになりたい。

ここに来て、アイドルになりたい。ステージの上で歌って踊りたい。キラキラひらひらの衣装を着たい。19になってやってきた東京はアイドルが身近すぎた。友達の友達やら妹やらが48グループや坂道グループに所属しているなんてザラだった。彼女たちも、普通の人間だったのだ。画面の向こうの偶像じゃなくて、ちゃんとただの人間だったのだ。

でも生まれ持った顔面は何回タンクローリーで轢いても齋藤飛鳥にはならないし、身体が痩せても足はコーギーより短い。彼女たちの存在が身近でも、やっぱりとても遠い。アイドルなんて努力だけじゃどうにもならないのだ。生まれ持ったスペックで私がアイドルになるには、輪郭を削って、目頭を切開して、耳の軟骨を鼻先にいれて、小鼻も切り取らなければいけないと気づくのが遅すぎた。

別にもう悲しくはない。幼稚園の頃先生に笑われて、アイドルになんかなれないって分かっていたのだ。身の丈なんて知っている。アイドルのオーディションはだいたい上限20歳までで、私みたいな年増はもう求められていないのだ。

私はどこの企業に就職したらいいのだろう。将来何をしたらいいのだろう。もう別にやりたいことなんてないし、これから見つかるとも思わない。小さい頃からガチガチに固められた安定思考はスーツを身につける職業しか受け入れない。誰にも内緒でこっそり受けて、なんとか書類審査に受かったオーディションの2時審査が大学の期末試験と重なったとき、私には今を捨てる勇気がないと悟ったのだ。0.001%に賭ける勇気がなかった。目標がないながらに積み重ねてきた安定の道を捨てられなかった。情けなくて涙が出た。

今はもうそれでいいけど、でもきっと生まれ変わったら、とびきり可愛い女の子になりたい。幼稚園でアイドルになりたいって言っても鼻で笑われることなんかなくて、そのまま挫けずにアイドル目指してバレエなんか習っちゃったりして。つまらない勉強はほっといて、高校生になったら表参道のクレープ屋さんでバイトをしよう。そして17歳でアイドルのオーディションに合格して、笑顔で歌って踊って、写真集なんか出しちゃったりして、25歳で惜しまれながら引退するんだ。

私はずっとずっと、アイドルになりたかった。